母二人相次ぎ逝く
9月27日、実母キヨヱ97歳、9日後の10月6日、義母(妻の母)かつ代96歳が相次いで永眠しました。実母は6月に直腸がんが見つかり、一旦入院しましたが、在宅看護に切り替え、妹夫婦らの手厚い介護を受けたのち、また老衰の義母は6月下旬、札幌から大阪に出張介護に出かけた家人に見守られ、それぞれ静かに旅立ちました。

僕も8月以降、頻繁に札幌市北区の妹宅を訪れ母の枕辺に座り、昏睡する母の手を取り呼びかけました。家人は義母のお葬式を仕切り、後片付けをして昨日、約4ヶ月ぶりに帰ってきました。
妹や家人の献身的な看護に比べれば、私は大学授業の準備などをしながら、自分の食事や炊事洗濯をやるくらいが関の山で、さほど苦労したとは思えない。男は役に立たないなぁとつくづく思ったこの4ヶ月でした。
我が家の居間の窓辺には実母と義母の遺影の側に韓国時代に買った安物の青磁の花瓶に切り花を投げ込み、朝な夕なに手を合わせています。
そういうことでこの3ヶ月、ブログは書く気になれませんでした。2008年以来たくさんの人に読み続けていただいているのにご無沙汰して誠に申し訳ありません。これからは少しずつペースを上げていきたいと思っています。懲りずにお付き合いください。

僕も8月以降、頻繁に札幌市北区の妹宅を訪れ母の枕辺に座り、昏睡する母の手を取り呼びかけました。家人は義母のお葬式を仕切り、後片付けをして昨日、約4ヶ月ぶりに帰ってきました。
妹や家人の献身的な看護に比べれば、私は大学授業の準備などをしながら、自分の食事や炊事洗濯をやるくらいが関の山で、さほど苦労したとは思えない。男は役に立たないなぁとつくづく思ったこの4ヶ月でした。
我が家の居間の窓辺には実母と義母の遺影の側に韓国時代に買った安物の青磁の花瓶に切り花を投げ込み、朝な夕なに手を合わせています。
そういうことでこの3ヶ月、ブログは書く気になれませんでした。2008年以来たくさんの人に読み続けていただいているのにご無沙汰して誠に申し訳ありません。これからは少しずつペースを上げていきたいと思っています。懲りずにお付き合いください。
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