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zoom RSS 南三陸町防災対策庁舎

<<   作成日時 : 2016/05/07 12:35   >>

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 4月中旬の東北の旅路で、2011年3.11の大地震による巨大津波の被災地を黒木一吉さんに案内してもらった。宮城県南三陸町の防災対策庁舎と石巻市釜谷(かまや)の大川小学校。そこには5年経った今も、一瞬のうちに数多くの犠牲者を出した現場の惨状をまざまざと示す建物が残されていた。 黒木さんとともに胸がつぶれるような悲しみを共有した思いだった。札幌に帰ってからも、なかなかリポートをまとめることができなかった。

 黒木さんは宮城県大崎市の人。大阪外語大(現・大阪大外国語学部)U部英語学科の卒業生で1972年モンゴル語学科卒のキタより少し後輩で同大学同窓会「咲耶会」東北支部長。キタは北海道支部長を仰せつかっていて、本部総会で意気投合した。

 黒木さんの住む大崎市には、映画「大地の侍」(1956年、東映)ゆかりの岩出山地区があり、15日朝その名所旧跡を案内してもらったあと、、黒木さんのマイカーで南三陸町に向かった。

 内陸の岩出山から東北方向へ走るにつれて、人家がまばらになり、更地が目立つ。巨大津波に建物が押し流され、5年経った今も、大型重機が轟音をたてて走りまわり、地面を嵩上げする基盤整備工事が続けられていた。

 「あれですよ」と運転席の黒木さんが前方を指差す。だだっ広い空き地にむき出し、暗赤色の鉄骨が四角く組まれているだけ。これが南三陸町本庁舎に隣接していた町防災対策庁舎(3階建て)の変わり果てた姿だった。

  2011年3月11日午後3時34分。海岸から500メートル離れた町防災対策庁舎を、高さ15.5メートルの巨大津波が直撃した。南三陸町全体の死者・行方不明者は832人、当時の町人口の4.6%を失った。

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だだっ広い空き地にポツンと立つ南三陸町防災庁舎
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防災庁舎3階の上に立つアンテナ。あの日、3階屋上まで迫った津波。アンテナにしがみついて九死に一生を得た職員もいた
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▲3.11その日の防災庁舎
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かつてあった家並みは全て押し流され、再び基盤整備が続けられる南三陸町内

「われわれ年寄りは生き残り、若い職員が流されてしまった」
 宮城県南三陸町の遠藤健治副町長(62)は、悔しさをにじませた。11日の東日本人震災で、町民8OOO人以上が行方不明になっている同町。住民を避難させようと、最後まで庁舎に残った職員二十数人の行方もいまだに分からない。
 遠藤副町長ら、最後の職員が陣取ったのは同町志津川の総合防災庁舎3階の建物、今は、赤い鉄骨が残るだけだ
。(河北新報3月16日)

 将来への教訓とするため、遺構として保存するか、遺族の悲しみを慮って解体するかー防災庁舎をめぐって、長く町内の意見が大きく対立したが、2015年6月、宮城県が震災の20年後に当たる2031年まで県有化し、一時保存することが決まった。20年間は解体を保留したうえ、町で改めて解体の是非を判断することになった。

 

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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