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zoom RSS 軍隊は住民を守らない−沖縄の慰霊の日

<<   作成日時 : 2015/06/23 22:14   >>

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 きょう6月23日は70年前、沖縄地上戦が終結した日を記念する「慰霊の日」。最後の激戦地となった糸満市磨文仁(まぶに)の丘で追悼式が行われました。この朝の琉球新報と沖縄タイムスの社説を北海道新聞記者時代の大先輩島田昭吉さんが、定期便のメールの中で紹介してくださった。無精して転載を決め込みます。

島田さんのメールの書き出しです。
「沖縄戦の教訓は『軍隊は住民を守らない』である。言い換えれば『軍の駐留は住民の犠牲を招く』ということだ」(琉球新報)。「戦争が終わって70年がたつというのに、今なお戦争と基地を引きずり続けている地域が他にあるだろうか。沖縄では戦争は終わっていないのだ」(沖縄タイムス)―――――――――――。戦後70年の沖縄「慰霊の日」に、小生は頭(こうべ)を垂れ、黙して、沖縄2紙の社説を読み返しています、なん度も。

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▲北海道新聞月23日夕刊1面トップは「沖縄慰霊の日」。追悼式には安倍総理も出席したが、写真は翁長県知事の献花姿

【慰霊の日 犠牲の再来 許さない 沖縄戦の教訓を次代へ】
=琉球新報6月23日(2015年)
 米軍の戦史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれた沖縄戦から70年、慰霊の日がまた巡ってきた。ことしはとりわけ胸が騒ぐ。節目の年だから、ではない。沖縄戦の教訓を無にするかのような動きが活発化しているからだ。
 先人の無念を無駄にしてはならない。戦争を憎み、平和な島を建設するという「あまりにも大きすぎた代償を払って得た/ゆずることのできない/私たちの信条」(県平和祈念資料館・展示むすびのことば)を思い起こしたい。
強いられた「共死」
 沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。言い換えれば「軍の駐留は住民の犠牲を招く」ということだ。これは抽象的なスローガンではない。戦場の実態に即した事実である。
 沖縄戦で壊滅的被害を受けた島と日本軍が駐留していた島は、見事なほど一致する。駐留のない島の被害は軽微だ。駐留と被害は明らかに連動したのである。
 別の背景もある。沖縄戦直前、軍部は住民に壕を掘らせ、戦争準備を強いた。従って住民が投降すれば、どこに司令官がいてどこに武器弾薬があるか、敵軍に知られてしまう。だから住民が生き残るよりは住民の全滅を願ったのだ。
 それを裏打ちする文書がある。日本軍の「報道宣伝防諜(ぼうちょう)等に関する県民指導要綱」だ。「軍官民共生共死の一体化」とある。意図的に住民へ「共死」を強いたのだ。
 もっと本質的な問題もある。大本営は「帝国陸海軍作戦計画大綱」の中で沖縄を「皇土防衛の前縁」とし、現地の軍に「出血持久戦」を求めた。米軍の本土上陸を一日でも先延ばしするため、沖縄を「捨て石」としたのだ。沖縄の住民は「防衛」の対象ではなく、本土を守るために犠牲に供するものと位置付けたのである。
 これは沖縄戦全体を覆う特徴だ。1945年4月、大本営は「占領セラルハ必至」(機密戦争日誌)と知りつつ、沖縄戦に突入した。5月下旬、日本軍は主力の7割を失い、首里の司令部も維持できなくなったが、沖縄本島南部への撤退を決めた。南部に住民13万人余がひしめくのを承知の上で、である。
 占領されると知りながら敵を上陸させ、なるべく長くとどめようとする。住民が多数逃げている場所に軍が行き、紛れ込む。こんな計画のどこに住民を守る視点があろう。軍部には住民保護の意識が決定的に欠落していた。
 以降、日本軍による食料強奪や住民の壕からの追い出し、壕内で泣く子の殺害が起きた。「ありったけの地獄」はこうして現れた。
戦前想起させる動き
 沖縄戦の前年、疎開船対馬丸が米軍に撃沈された。だがその情報は軍機保護法により秘匿され、知らずに別の疎開船に乗った住民も次々に犠牲となった。特定秘密保護法がこうした事態の再来を招かないか、危惧する。
 今、安全保障法制は、日本と遠く離れた地域での出来事も「国の存立が脅かされる事態」と規定する。戦前の「満蒙は生命線」の言葉を想起する。国民の恐怖心をあおって他国での戦争を正当化する点で、うり二つではないか。
 沖縄戦体験者の4割は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症、または発症の可能性があるという。阪神大震災体験者の倍だ。専門家は「沖縄戦と今が地続きだからだ。米軍の存在が日常の沖縄では米軍による事件事故のたびに心の傷口が開く」と分析する。
 その傷口に塩を塗り込むように、政府は新たな基地の建設を辺野古で強行している。沖縄の民意がどうであろうと沖縄を基地として差し出す、という構図だ。犠牲を強いる点で、沖縄戦の構図と何が異なるだろう。
 私たちは犠牲強要の再来を断じて許さない。過去に学び、戦争につながる一切を排除せねばならない。疎開船撃沈を報じず、沖縄戦でも戦意高揚を図った新聞の責任も、あらためて肝に銘じたい。

【[慰霊の日]戦争への危機感が募る】
=沖縄タイムス6月23日(2015年)
 県立第三高等女学校の「なごらん学徒隊」として沖縄戦に動員され、負傷兵の看護にあたった上原米子さん(88)は、戦場での体験を紙芝居に仕立て、子どもたちに伝えている。
 麻酔なしで手足を切断した野戦病院での場面や、攻撃を受けて腹部から血が噴き出しもだえ苦しむ人々の最期などを絵と生の言葉で語る。
 体験に基づく描写の中に1枚だけ「どうしても」と級友に頼まれて描いたものがある。血を流し倒れる夫婦の横で、爆風に飛ばされた男の子が木の枝にぶら下がっている絵だ。
 男の子の着ている服が枝に引っ掛かっているのではない。木の枝が直接、体を刺し貫いている。
 「お願いです。殺してください」
 どうすることもできないまま、その場を離れた級友は罪悪感に悩まされ、必死に懇願する男の子の声が生涯、耳から離れなかった。昨夏、亡くなる前に「代わりに話して」と上原さんにお願いしたのだという。
 沖縄戦の体験者が一人二人と減っていくごとに、それぞれの掛け替えのない経験も歴史のかなたに消える。せめて絵を通して男の子の無念を後世に伝えてほしいという級友の思いが、上原さんにバトンタッチされたのである。
 戦後70年。県人口に占める70歳以上の割合は15%を切った。戦争体験を明瞭に語ることができる80歳以上となると5%ほどだ。
 「戦争体験が風化していけば、平和は遠ざかっていく」。沖縄の語り部は危機感を募らせる。
 ■ ■
 沖縄戦体験者を対象に朝日新聞社が実施したアンケートで、65%もの人が「沖縄が再び戦場になる可能性がある」と答えている。本紙などの県民意識調査では、安倍内閣への支持は22%で、全国に比べ際立って低かった。
 この二つの数字が示すものは時代への強い危機感である。

 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案が国会で審議され、名護市辺野古では米軍の新基地建設が進んでいる。沖縄が再び「捨て石」にされるのではとの不安や懸念は深まるばかりだ。
 北谷町に住む安和美智子さん(90)は、昨夏、辺野古で開かれた新基地建設に反対する集会にタクシーを飛ばし駆け付けた。前日まで参加を迷っていたが、当日の朝になって居ても立ってもいられず、顔見知りの運転手に3万円を渡しチャーターした。
 「なぜこんな小さな島にたくさんの基地を置くのか。基地は沖縄を守らない」
 ■ ■
 きょう沖縄は「慰霊の日」を迎えた。この機会に安倍晋三首相とキャロライン・ケネディ駐日米大使は、沖縄の歴史と現実を直視してほしい。
 戦争が終わって70年がたつというのに、今なお戦争と基地を引きずり続けている地域が他にあるだろうか。沖縄では戦争は終わっていないのだ。
 沖縄の犠牲や負担を前提にした安全保障政策を私たちは受け入れない。沖縄は平和の発信地にこそふさわしい。

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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