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zoom RSS 十津川村と新十津川町

<<   作成日時 : 2011/11/22 09:11   >>

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  左側に、北海道新聞さんに張らせてもらっている「ブログパーツ」に関心を引くニュースインデックスがあります。クリックすると、 【新十津川】9月の台風12号で深刻な被害に見舞われた「母村」の奈良県十津川村に2カ月間派遣され、復旧作業を支援した空知管内新十津川町の職員3人が同町に戻り、21日、町役場で現地の様子などを報告したと、いう記事。明治の大水害による十津川村からの集団移住が新十津川町を生んだ、という歴史を思うと 、自然の猛威とそれにへこたれない日本人の魂を感ぜずにはおれません。


 記事は続きます。
 同町は、母村の危機的状況を受け、9月19日から今月17日まで谷口秀樹さん(48)、由野格(よしのとおる)さん(36)、松尾昭彦さん(28)を派遣した。
  土砂崩れで寸断された温泉ポンプの復旧などを行った谷口さんは「村職員は多忙で過酷な状況。基幹産業の観光は風評被害で苦しんでいる」と報告。介護保険業務などを担当した由野さんは「支援の手を挙げた新十津川の心が喜ばれた」などと話した。


 歴史を紐解くと、1889年(明治22年)に起きた奈良県吉野郡十津川村での十津川大水害の被災民600世帯2489人が北海道の石狩川流域にあるトック原野に入植し新十津川村(現在は町)と名づけました。新十津川町の町章は十津川村と同じデザインを使うなど母村との紐帯は現在も続いています。

 明治の大水害は村民死者168人、負傷者20人、流失・全半壊家屋610戸と村が壊滅するほどの大惨事。住宅や田畑を押し流され、生活の場を失った600戸が、意を決して新天地を求めて北海道開拓に向かったのでしょう。

 
画像
11月22日の朝食。昨夜の残りの白菜と牛肉の蒸し煮、ヨーグルトに韓国製はちみつ柚子茶を混ぜたもの、アールグレー紅茶、トーストにバター、ジャム=だいたいいつもこんなものを食ってます。トーストは1斤600T(40円弱)

十津川村はキタの母方の故郷、奈良県大淀町と同じ吉野郡にあります。江戸末期の天誅組の乱に加わった十津川郷士の故事が日本史に出てきます。学生時代、行こうと何度か思ったけれど、山間部を相当時間をかけて行かねばならない辺地(当時)だったので叶いませんでした。

 世界遺産熊野古道伊勢路が村内を縦断し、日本一広大な村でもあります。日本に帰ったら行くぞ。

 私自身北海道に移り住んでまもなくのころ、1970年代後半か、札幌から車で2時間ほどの新十津川町に立ち寄ったことがあります。道を聞いたとき、答えてくれたおばあさんの関西なまりに懐かしい祖母と同じものがあり、「ああ、この人の祖父母の時代に北海道にきたんだろうなあ」と思ったものでした。急いでいてゆっくり話を聞けなかったのがいま思うと残念。

 明治の大水害から約120年ぶりにまた大水害をこうむった十津川村。災害にへこたれない十津川魂で今回も立ち上がってほしい。また同じルーツを持つ新十津川の人たちもこれを機会にさらに連帯を深めてほしい。 北海道新聞の記事からそんなことを考えてしまいました。

 注)北海道新聞の記事、ブログを書き終わって見たらもう消えていました。でも引用文が全文です。

 

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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