テーマ:思い出

宝塚新芸座と初音礼子

Facebookで、宝塚歌劇観劇のことか書かれているを見て、いまはなき宝塚ファミリーランドにあったもう一つの劇場(第二劇場といったか)のことを思い出した。中一の寒くないころだから、1961年か。阪急宝塚線曽根に住んでいたころ、母親と3兄弟妹の4人でファミリーランドに行った。 ▲宝塚新芸座公演のポスター。1951年4月とある=阪急文…
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心のふるさと河内の若江岩田 その五 一人旅の出発点 若江岩田駅

今思うと、ぼくは小学低学年(1、2年生)で、一人で電車に乗って、布施や上本町に行ってたなあ。布施と今里の中間に母の養父母が住んでいて、実の孫同然にかわいがってもらった。近鉄奈良線の終点(いまは途中駅)上本町には近鉄デパートがあって、屋上遊園地が目的。こじつければ、近鉄奈良線の若江岩田駅は、後半生、大阪を去り北海道に移住、職を得てからも国…
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心のふるさと河内の若江岩田 その四 森岡綾子先生

小学校時代の心のふるさと探訪を終え、若江岩田駅に戻る時、ふと思い出した。中央小学校に入学して最初の担任、森岡綾子先生のこと。つるや電気商会から若江岩田駅に向かって歩き、中間ぐらいの所で左折すると、森岡先生が住むお寺があったはず。目見当つけて左折すると、ドンピシャ。「浄土真宗本願寺派 教岸寺」という石柱が閉じられた門の前に立っていた。表札…
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心のふるさと河内の若江岩田 その三 岩田の墓市

現在の東大阪市岩田5丁目に江戸時代、いやもっと古くからの大きな墓地がある。ぼくが幼年期を過ごした1950年代、河内市岩田だったころ、この墓の開祖、行基上人の命日に因み、毎年8月11日に、墓地に接続する岩田商店街で露店の市が立った。岩田の墓市だ。ネットで以下のような情報を得た。  ぼくたち三男1女の4人きょうだい(末弟は1961…
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心のふるさと河内の若江岩田 その二 竹内そろばん教室

 竹内そろばん教室。8月10日のお昼前、その看板を見た時、1957年ごろのふたつの嫌なことを思い出した。 なぜ1957年ごろというのか。それはラジオドラマ「赤胴鈴之助」を聴いていたころ、河内市(現在は東大阪市)岩田の商店街のはずれにあったこの「竹内そろばん教室」に通っていた記憶が鮮明だから。Wikipediaで「赤胴鈴之助」を調べると…
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心のふるさと河内の若江岩田 その一 玉川小学校

8月10日、谷町9丁目のホテルから家人の母のいる上汐の公団アパートにより近鉄上本町から奈良線で7駅の若江岩田で下車。岩田商店街を歩いた。東大阪市岩田は4、5歳で物心がついた頃から小学5年の1学期まで過ごしたところ。  まず訪ねたのは東大阪市立玉川小学校。僕が入学したのは1954(昭和29)年、大阪府中河内郡玉川町立玉川北小学校だっ…
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故川崎隆生氏夫人にお悔やみ状送る

先月急逝された元西日本新聞社長、川崎隆生さん(享年70)の真由美夫人にきのうお悔やみ状を差し上げた。ほんとはもっと早くと思っていたが、住所を書いた郵便物がなかなか見つからなかった。   毎年やりとりする年賀状のうち、永久保存版の人(親しい人や物故した人)の分は別途ファイルしてあるのだが、それをどこに仕舞った見当たらなかったの…
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春日八郎「お富さん」のころ

例により、午前3時ごろ目覚めた。コーヒーを沸かして飲んで勉強机に就いた。ラジオをつけると深夜便、渡久地政信という作曲家を特集している。上海帰りのリルについで「お富さん」が流れた。どちらも幼少のみぎり、リアルタイムで聴いた記憶がある。お富さんについて書く。  昭和29年の作品という。つまりぼく6歳。河内市立(まだ大阪府中河内郡玉川町…
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和綴じとバック便

断捨離と呼べるほどまだ徹底はしていないが、わが個人史の古文書(こもんじょ)というべきものの整理を始めている。ぼくのいた新聞社で今もあるかどうかわからぬが、少なくともぼくがデスクをしていた1990年代までは、すべての外勤記者のいる部局には出稿簿として和綴じ縦罫12行を使っていた。学芸部にいた1980年代、ぼくは1冊失敬して、思い出の品にな…
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初めて「長」の辞令をもらったころ

新型コロナウイルスで、ふだんよりちょっと在宅が増えた。暇に任せて、断捨離というほどではないが、不要な書類の整理をするときもある。こんなものが出てきた。1990年3月、いまからちょうど30年前にもらった辞令。「課長」というポストはぼくのいた新聞社の記者職にはなかった。単なる職位にすぎないが、社会人になって初めて「長」が付いたいたのは社歴1…
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カミユ著「ペスト」の記憶

昨夜、布団の中でNHKラジオの新番組「高橋源一郎の飛ぶ教室」を聴いていた。。高橋がアルベール・カミユの小説「ペスト」を話題にしていた。ぼくは思い出す。1971年神戸。神戸新聞の採用二次試験で部長級の面接官が「君は愛読書がカミユの『ペスト』だと書いている。その理由を述べよ」。  主人公の医師はペストのパンデミックという巨大な敵と…
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春に目覚める前、きれいなおねえさんと混浴

明けておとといの火曜、札幌中央図書館にいくと、1階併設の展示コーナーで「銭湯展」。そこに昭和24(1949)年、銭湯に掲げられた実物の表示板が出品されていた。 ▲いま札幌中央図書館のギャラリーに展示されている銭湯の料金表 ぼくの記憶では6歳幼稚園児のころ、つまり昭和29(1954)年は大人15円、中人(中学生)12円、小…
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中国語学習22年、蝸牛の歩み

ぼくの趣味の一つに外国語齧(かじ)りがある。その一つ中国語は齧り始めて22年経つがいまだに歯が立たない。のんびり断続的な勉強だから4声が頭に入らない。口に出して音楽的に覚えるしかない。2016年3月中検3級を受けて見事落第。リスニングが全然できなかった。その後もダラダララジオ聴いたりインバウンドに話しかけたり。次の日曜23日に3年ぶり2…
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ごはんは「熟(う)まさな、あかん」

おととい金曜日、大阪外語大同窓会「咲耶会」の北海道支部幹事会が南2西5の焼き鳥屋「串鳥」で開かれた際、最後に釜めしを6人で食べました。炊きあがると、いったん蓋を取って、上部と下部の飯をひっくり返して再び蓋する。しばらく措くと美味くなる。標準語では「蒸(む)らす」というが、大阪ではこれを「うます」というのだと、ぼくが講釈をたれると、だ…
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2001年6月8日、池田小事件

 きのう6月8日は、あの忌まわしい大阪教育大付属池田小校内で起きた無差別大人数殺傷事件から18年の歳月が経ったんだなあ。  凶行に倒れた8人の子どもたちにあの日のことがなければ、いまは20歳代の輝かしい人生を歩んでいたはず。そう思うと、いまさらながら言葉を失う。    2001年のあの日、ぼくは地方紙の文化部長会議のため、仙台…
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今年初の藻岩登山

 昨4月28日、藻岩山(531m)登山。今年初めて。平成最後の、とはいわない。快晴、白銀頂いた大雪、暑寒の峰々まで見渡せた。ないが。快晴。すばらしい単独行となった。 ▲藻岩山頂展望台から札幌の街を見下ろす。北側の石狩湾を除き、3方はまだ雪山  電チャリAmazing Grace号で約20分、午前8時半、慈恵会病院登山口から登…
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あの「4月25日」から14年か。

 きのうは4月25日。この日付、なにか、心に引っかかるのだが、思い出せない。さっき、昨日の夕刊を読んでいて、ああそうだった、とやっと気づいた。14年前のきのう、大きな出来事がいっぺんにやってきた日だった。 ▲昨日、4月25日の北海道新聞夕刊  一つはこれ。日本鉄道史に残る大事故だった。  そしてその事故が発生した同…
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美留和小の思い出

自宅書庫を整理していたら、10年ほど前に弟子屈町の小規模校、美留和小学校の山内雅恵校長先生(当時)からいただいた便せん2枚のお手紙が出てきた。2005年の道新出版局長、翌年から2010年の事業局長時代にたまった自社出版の書籍を同校に贈ったお礼だ。種を明かせば、当時新刊本を結構買い支え、複数冊数になったものが自宅書斎にあふれたので、子…
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大村崑ちゃん健在

 4時前めざめ枕頭のラジオ点けると、大村崑のインタビュー途中。若い頃肺結核患い片肺切除するも、いま87歳で元気いっぱいの由。ぼく、幼少期にテレビでやりくりアパート、番頭はんと丁稚どん、とんま天狗で慣れ親しんだ。  3つのテレビ連続バラエティーはいずれも1958,9年、大阪で大フィーバーしていた。1948年生まれのぼく10歳ごろ。父…
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水風碑を開く その2

  10月13日の水風碑完成お祝い式と、そのあと近くのガトーキング札幌ホテルで開かれた懇親会には、地元札幌をはじめ、千歳、恵庭、道外は東京、大阪から合わせて17人が出席しました。<その2>では墓地でのスナップを掲載します。  
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墓開き・墓仕舞い

 昨年から取り掛かっていた、北海道喜多族の墓碑「水風碑」が完成した。今週の土曜10月13日に、石狩市新港1丁目の市営花畔墓地で郎党・縁戚16人が集まり建碑式を執り行います。きっかけになったのは吉野・喜多族の族営、通称「はげらの墓地」が何世紀(はっきり知らない)かの歴史の終止符を打ち、墓仕舞いするとの本家筋から通知があったことによる。キタ…
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やっと墓碑銘原稿できる

 今年のお盆には完成予定だった北海道喜多家の墓の墓碑銘原稿がやっとできた。このままでは雪降る前に落慶法要(?)が可能かどうか、石材店にきいてみなければ分からない。  なぜこんなに遅れたのか。  碑文は昨年のうちに「水の星に生き 土へ還る」と決めていたが、石材店に頼んで出来合いのフォント(印刷文字)ではなく、多少書道を齧るわたくし…
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古希同窓会

 昨日は長い一日でした。大阪・豊中一中の古稀同窓会に出席。80代の恩師5人と130人の同期生と語り合いました。1、2次会合わせ6時間。半世紀以上の空白を一気に消し飛ばす元気な老人たち(わたしもその1人)でした。ひとクラス50人14組まであり、1学年700人。高度成長を支えた団塊の世代。まだ現役もだいぶいてはる。  場所はJR大阪駅…
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銭湯の思い出 4連発

<銭湯の思い出⓵>一昨日、ショウブ湯に触れたFacebook書き込みを見て「こどものころはずっと銭湯通いだったなあ」と思い出した。小学低学年のころはいつも母親と女湯だった。独りの時も。あるとき、独りで銭湯に行ったとき、女湯で体を洗いながら、ハタと気づいた。   「あれ、なんでぼくはこっちにはいってるんやろ?」。それから…
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2013年~18年の足跡

 天は、本人が知らないうちに節目を用意してくれる。会社を辞めた直後、思い付きでモンゴルでボランティア教員を2年間勤めた。帰った2013年から本当のリタイア生活が始まった。あれから5年の今月、70歳の古希を迎える。第1期シニア生活を総括して第2期に入ろう。林住期から遊行期へ。 2013年から5年間のトピックを列挙するとー。 2…
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祖父と孫

 5月に入った。今月25日に満70歳になる。そこで、祖父と孫の関係を書いておこうと思う。  私の父方の祖父、森房吉は岐阜県安八郡安八町で、明治25(1892)年9月25日に生まれ、昭和54(1979)年6月14日、大阪市堺市で死去。享年87。1962年、房吉70歳のとき、義憲13歳。  一方、母方の祖父、喜夛義雄は奈良県吉野…
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8年まえの挨拶状

下のような、8年前の会社人卒業挨拶状のアイコンがなぜか、ひょこっとPCデスクトップに現れた。操作した覚えがないのに。もう一度初心に返れ、という天啓か。  この8年間のいつ「充電期間」が終わったか、まだ続いているのか、よく分からない。一つだけ言えることは「縁(えにし)」はこの8年間、結構広がった。  会社時代からの…
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襟裳にて

 いま、襟裳岬にいます。今日昼過ぎ、急に、どこかに行きたくなって、いくつか考えた。稚内、函館、襟裳・・・なんだ海辺ばかりだな。JR列車とバスの時間を調べてみたら、JR高速バス午後4時半札幌ターミナル発襟裳岬20時半というのがあった。よし、これにしよう。  襟裳には思い出がある。  1970年7月、北海道新聞を受験したあと、列…
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!と!

 世界一短い手紙のやりとりは文豪ヴィクトル・ユーゴ―がレ・ミゼラブルを書いたとき版元に送った「?」(売れ行きは?の意)に応えた版元からの「!」(売れ行き快調!)だというのは夙に有名。手紙ではないが、私にもこれに似た経験があるのを思い出した。こちらは「!」→「!」。  今から46年前の1971年6月、場所は今は取り壊し中という東京銀…
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向田邦子のこと(2)

朝書いた「向田邦子のこと」。キタが初めて台湾にいったのは1981年の9月ごろと書いたのは、大間違いで、2年後の1983年5月であることがわかった。ぼくは81年に、ヨーロッパ取材のため初めてパスポートを取得してのち、切り替えごとに全部使用済みのパスポートは取ってある。それを見れば、過去の海外での足跡がすべてわかる。  ▲東京の台湾亜…
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