宝塚新芸座と初音礼子

Facebookで、宝塚歌劇観劇のことか書かれているを見て、いまはなき宝塚ファミリーランドにあったもう一つの劇場(第二劇場といったか)のことを思い出した。中一の寒くないころだから、1961年か。阪急宝塚線曽根に住んでいたころ、母親と3兄弟妹の4人でファミリーランドに行った。

IMG_9621.JPG▲宝塚新芸座公演のポスター。1951年4月とある=阪急文化アーカイブHPより転載させていただきました

 入園チケットには歌劇とお笑いの宝塚新芸座公演のどちらかが観られる、或いは両方が観られる整理券がセットになっていた。母親が決めたの か、新芸座を選んだ。座長が初音礼子(1908〜1987)。お芝居の内容は憶えていないが、劇中ミュージカルがあって、亡者たちが△印の鉢巻き姿で、草津温泉をパロって「♪地獄よいとこ、一度はおいで〜♬」と湯もみしながら歌っていた。 

 亡者の中でも長身で声の良い男がひときわ目立った。のち、テレビのてなもんや三度笠にキャラの強い浪人役で出ていた。今ではピアノ買い取りコマーシャルでしか見られなくなった財津一郎だった。今なおキャラは濃いが。初音礼子は戦前は宝塚雪組級長男役トップだったがぼくが憶えているのはハスキーボイスの大阪弁でまくしたてるおもろいおばはん。映画出演も多い。「男はつらいよ」にも小栗康平監督の「泥の河」にも出ていた。
 
 人生ただ一度、宝塚で新芸座ライブを見た時の話に戻る。昨年秋、妹宅で昏睡状態の実母(享年97)のマクラ元で妹から聞いた。あの時、母親は親子心中を考えて、この世の最後の贅沢に宝塚ファミリーランドを選んだというのだ。

 妹の記憶によると、ファミリーランドを出て、近くの大きな川のそばまで4人で行っ たそう。言われてみれば、川のことはぼんやり記憶に残らないでもない。いま地図で見ると武庫川だ。

 母親が入水を思いとどまったから、いまこうしていられる。いや、当時ぼくはすでに170㌢あり、野球部員。母親がご乱行に及べば止められたはず。だから、親子心中だけでなく、宝塚見物のあと単独自殺も選択肢に入れていたと考えるべきだろう。
 
 女手一つで4人を育てる(一人は早世したが)辛い道のりは子にも察するにあまりある。写真は1951の宝塚新芸座のポスター(「阪急文化アーカイブス」より)。1957年に初音は新芸座に招かれのち座長に。出演者のいとし・こいし、AスケBスケはぼくの大阪時代のアイドルだった。

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