心のふるさと河内の若江岩田 その二 竹内そろばん教室

 竹内そろばん教室。8月10日のお昼前、その看板を見た時、1957年ごろのふたつの嫌なことを思い出した。00CFCDB0-BA02-47FA-890C-D8AFF683A100.jpeg
なぜ1957年ごろというのか。それはラジオドラマ「赤胴鈴之助」を聴いていたころ、河内市(現在は東大阪市)岩田の商店街のはずれにあったこの「竹内そろばん教室」に通っていた記憶が鮮明だから。Wikipediaで「赤胴鈴之助」を調べると、大阪でそのラジオドラマが放送されていたのは1957〜59とあった。放送開始から聴いていたはずだった。
1957(昭和32)年といえばぼくは河内市立中央小学校4年生。そろばん学校は「岩田公設市場」の北端に隣接する位置にあった。ぼくの両親はこの市場の反対側南端で家電販売店当時は「電気屋」を営なみ、父母とぼくをかしらに三男一女の6人家族が市場の2階に住んでいた。屋号は「つるや電気商会」。つるやはテレビブームに乗って売り上げを伸ばし、市場の南端に隣接する「藤井」という2階建てのうどん屋家屋を買い、住居ごと隣に移った。

 移った時期は正確に覚えていないが、これも1957年前後だろう。58年の1学期にはつるやは倒産、一家離散が始まったのだから。

約60年後にその地を訪れると、岩田公設市場の名はなかったが、なんとなく面影を感じさせた。南隣の独立店舗のつるやは駐車場になっていた。60数年以上健在なのは竹内そろばん教室だけだ。
1368E610-5F34-4A69-9A17-2D2119CF45BA.jpeg白い壁の建物が最初の「つるや電気商会」のあった岩田公設市場。手前、走行車に隠れた駐車場が独立店舗の「つるや」の跡地と思われる

ぼくが通っていた当時は日本経済が大きく成長する時期で、家計に余裕ができると、そろばん塾に子供を通わせる家庭が増えたのだろう。竹内そろばん教室はレベルに応じて複数のクラスを入れ替えて授業を行っていた。生徒は100人以上いたのではなかったか。

ぼくは、入門した時が17級、その後1年かけて13級くらいに昇級したが、中央小学校で同じクラスのヤマモトユウコちゃんは僕より後に入門してあっという間に一桁の級に追い抜いていった。

 ある日のこと。見取り算をしている時、風邪を引いていたのか、慢性鼻炎気味のぼくは算盤の上にボタっと洟を垂らしてしまった。机の間を巡回していた女先生(夫婦2人で経営していた)がおり悪しくぼくのそばを通りかかり「汚い子やねえ」と言った。ぼくは傷ついた。

 またある時、下のレベルの授業が終わるのを待って、教室外の靴脱ぎに座っていた。スピーカーから聞こえる読み上げ算を左手のひらの上で右手の指を弾いてに暗算していたら、女先生がそれを見咎めて「あんた、(受講中の生徒に)答え教えたらあかんで」と怖い顔をした。

 何故か女先生に嫌われていることだけは確かだった。ぼくは手先が不器用で、そろばんの珠一つ弾こうとして下や上の珠もついてくる。したがって上達も遅い。

 そんなわけで塾通いが嫌になり母親(今97歳、当時は三十代前半)に「もうやめさせて」と泣いて頼んでギブアップ宣言したように憶えている。数学嫌いはそろばん塾から始まった。

「竹内そろばん学校」の前を通りかかったとき、よほどインターフォンを押して女先生のその後を聴いてみたいと思ったが、その勇気はなかった。
<
/span>

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント