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zoom RSS 著書「アト゜イ」で安宍君に会う

<<   作成日時 : 2017/03/17 14:45   >>

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 最近、リアルの書店に行くなら南1条西1丁目のジュンク堂。ついでにご近所のBOOK-OFFに寄ることが多い。自分の関心あるジャンルでしかも半値、場合によって100円+税で買えることがあるから。昨日、BOOK-OFFで買った3冊の中の1冊、「アト゜イ」(2002年、北海道新聞刊)を開いたら、序文を北海道新聞の後輩記者、安宍(あじし)一夫君が書いていて驚いた。安宍君はキタがモンゴルにいた2012年12月、急死の知らせをもらい大きなショックを受けたものだった。

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昨日、BOOK-OFFで買った3冊。安宍君と会えるとは思わなかった


 「アト゜イ 俺は魂をデザインする」は「アイヌ詞曲舞踊団モシリ」を主宰するアト゜イさんの自伝的エッセイ集。この本が出版されたころ、安宍君は道新弟子屈支局長。アト゜イが活動の本拠とする弟子屈町屈斜路湖畔を取材管轄にしていたから、取材を通じて知り合い、アト゜イさんの生き方に共感と理解を深めたのだろう。

 遠い祖先からたくましく受け継がれてきたアイヌの精神文化を、「人類にとても有益なメッセージ」として現代社会に伝えることを使命にする音楽の天才であり、同時に人の心の痛みを知り、優しさと繊細さを大切にする中年のおじさん。それがアト゜イの本質ではなかろうか−。(同書序文より)

 これが安宍君のアト゜イ観なのだろう。

 「あなたの肉声を本にしたい」と依頼したのはアト゜イさんが敬愛するシサム(隣人、つまりは和人)の一人、島田昭吉・道新出版局長(当時)。 文章を書くのは苦手というアト゜イさんをサポートして肉声を口述筆記したものを編集・校閲したのが安宍君だったようだ。


 安宍君と始めて出会ったのは、92年春、社会部デスクになったときから。安宍君は教育担当記者だった。30歳前だったか。融通は利かないがとにかくまじめで熱血漢。私も若かったので、なにかと厳しい注文を出し、声を荒げて叱責することもあった。今ならパワハラ、と言われそうな局面もあったかもしれない。

 顔面蒼白になってキタの小言を黙って聞き、反論をすることはなかった。性格がやさしかった。

 キタは1999年春、北見報道部長で赴任。弟子屈支局は釧路支社管轄だったが、距離的には釧路支社とと北見支社のほぼ中間にある。何度か、屈斜路湖畔、阿寒湖畔に遊びに行ったときは必ず、弟子屈で安宍君と会った。

 大阪から迎えた奥さんと一粒種の坊やと仲睦まじい支局暮らしをしていて、ほほえましかった。

 そんなことを思い出しながら、今、安宍君の息遣いを感じながら、「アト゜イ」を読んでます。

  キタは島田昭吉さんから数えて3代あとの出版局長。「アト゜イ」という書が発行されたことは知っていたが、安宍君が関わっていたとは、不明にもいまの今まで知らなかった。

 実は少し前、安宍君のことを思い出す機会があったばかり。 いつかアト゜イに会って、安宍君の思い出話でもしてみたい。

                           ◇ ◇
 いましがた、Gメールに「安宍」をキーワード検索したら2010年11月、旭川報道部デスクだった安宍君に送ったメールが見つかった。急死の2年前。

安宍さん
 お手紙落手しました。きょう15日まで旭川NHK開かれる西岡。と仲間展は、2条5丁目の独酌三四郎のマスターあきらさんに、今年春だかに旭川出張したときに声かけられてほいほいと安請け合いしてしまった結果です。縦136センチ横35センチの杜甫の漢詩を出しました。4年ほど書道をかじっていますが、いまだ初心者マークです。額縁屋さんに持ち込み、そのまま旭川に送ってもらったので、どんなできばえか見ていません。お目汚しになると思いますが、見てください。出品者を見るとあべひろし画伯(三四郎の常連同士で顔見知り)もいるようです。

 話は1992年に飛びます。
 ソウルから帰って社会部デスクに成ったのは44歳になる直前でした。任デスクの気負いもあり、元気ざかり、ナマイキ盛りであなたや、安宅、近藤浩、広川君らに無理難題、言わずもがなの悪口雑言を浴びせたことを今思い出しても冷や汗がでます。でも「上手い原稿でなくてもよい、読者に分かりやすい原稿を書いてくれ」とはその後も、編集を去った後も言い続けた原点だったと振り返っています。

 後輩といえば、今でも真っ先に君や安宅君、近藤君の顔が浮かんできて、どうしているかなあ、と思ってしまいます。安宅君には、夏に渓流釣りにいったとき支局に立ち寄りました。いい支局長になり支局員を大事に育てているようで安心しました。

 安宍君には奥さんを交えて一緒に飲もうと言っておきながら、実現しないまま、旭川に行かせてしまいました。残念でした。

 私の近況ですが、ひょんなことから来年3月から、JICA派遣のシニア海外ボランテジアとしてモンゴル北方ダルハンという町にある国立農業大学の分校に赴任、2年間「エコツーリズム」というものを教えることになりました。今その準備にばたばたしています。

 エコツーリズムなど専門外ですが、専門職を求めるシニア海外ボランティアのプログラムに、新聞記者のあてはまるものがなく、無理くり当てはめて応募しました。

 そのため、いま、道内のエコツーリズム実践地を訪ねて知床、ニセコ、富良野、霧多布(浜中町)をめぐったりし、今月22日から一ヶ月ほど、エコツーリズムの先進地オーストラリアをめぐって勉強してくる予定です。

 12月末に帰国来年1月6日から65日間の研修(福島県二本松のJICA研修所でカンズメ)を受けて3月末モンゴル出発という予定です。

 そんなわけで、ゆっくり旭川に行っている暇なく、「仲間展」には最終日の15日(月)行って作品を撤収し、7時からの直会なおらい(三四郎にて)に出る予定。もし時間があればその直らいに出ていただくもよし、そのあとでもよし、お会いできたらありがたい。
 
 直らいにでるのはあきらさん、あべさん以外、面識はありません。新聞記者が面識のない場所に闖入してネットワークを広げるのは今も昔も常套手段です。世間もそれをみとめてくれます。どうぞ、ぞうぞ。


  安宍君からの返信 2010年11月17日

 喜多さん、先日は旭川でごちそうさまでした。また、多くの人を三四郎で紹介してくださり、お礼申しあげます。もっと早く合流したかったのに、よりによって裁判の原稿があって、遅くなってしまいました。
次回はぜひ、夕方早い時間から札幌で、ゆっくりお話しをうかがいながら楽しい酒席をご一緒させてください。安宅くんとも楽しみにしています。
                                 お礼まで

安宍さん
 この間は、忙しいなか、よくきていただきました。すでに小生、午後6時から飲んでおり細部のやり取りはあまり憶えていませんが、山本牧ちゃんにも会え、昔一緒に苦労し、楽しんだ若い仲間と痛飲できて大変うれしかった。それぞれが、それぞれの活躍の場で思う存分やりながら、次の世代に引き継いでいくんだなあと思いました。またやりましょう。
デスクの大事な仕事は出てきた原稿を見ること以上に人脈を広げ、記者とは別の角度、情報から地域を見ることではないか、と以前から感じていました。それは今も同じです。頑張ってください。(2010年11月18日)


 これが最後のやり取りでした。今年12月19日が5回忌なんだなあ。



 

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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