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<<   作成日時 : 2016/11/21 22:41   >>

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 あす11月22日から1泊、定山渓温泉にある道新荘ぶんぶんの湯で、同期入社7人組のラスト研修をおこないます。いまから44年前の1972年4月、入社式から1週間、この社員厚生施設(当時は健保組合運営)に泊まり込んで新人研修をしました。その時の参加者は18人。いま物故者1人、行方知れずの2人を除き、15人が生存している。年齢まちまち。


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道新荘新人研修最終日、玄関前で記念撮影。キタは後列4人目。23歳と11か月

 僕たちが入社した1972(昭和47)年は北海道新聞創立30周年に当たる。戦時下の1942(昭和17)年、札幌の北海タイムスを中心に道内11紙が国策により統合、北海道新聞が誕生した。「

 わが”北海道新聞”は言論総力の国家的要請に従い、全道新聞界のあらゆる施設、卓越せる技術、蓄積せる知識、豊富なる経験、横溢せる気魄など、物心の一切を結集し、40万に余る大発行部数を傘下に収めて”よりよき新聞”の製作と普及を目的に組織せられた大新聞であり・・・(中略)わが北海道新聞としては本来の郷土代表紙たる性格に加えて直接中央の方針に即応しその指令を道民に伝えて国策に協力せしめる指導的使命、換言すれば国策浸透の機関として深く掘り下げ、広く切り開いた報道分野を有する中央紙即全国紙たる使命をも兼備して進むべきでありこれの完全遂行が本社紙の上に課せられているのである。(以下略)

 昭和17年11月20日発行の北海道新聞社報の4頁には「創刊に際して」と題した長沼欽一初代編集局長の長文がある。ワン・センテンスがおそろしく長い。後年の記者なら絶対こんな文章は書かないが、大政翼賛社会にあって、国家的使命にまい進する以外に、新聞の役割はないという建前表明は痛々しいばかりだ。
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 昭和17年の時局はどうであったか。
6月    日本、ミッドウェー海戦で大敗北
11月   ガダルカナル島制空・制海権アメリカに。補給を断たれた日本兵は飢えとマラリアで戦死者2万4000人のうち、餓死・病死は1万5000人
12月   38年の国家総動員法に始まった新聞統合完成。

 それから30年、昭和47年はどんな年だったか。
2月19日〜28日    浅間山荘事件が発生
5月10日    宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」が325万枚を売り上げ大ヒット
5月15日  沖縄返還
12月    道北大停電
12月31日  ロックバンド「はっぴいえんど」が 解散
日本レコード大賞 「喝采/ちあきなおみ」

 僕らの新聞記者生活はこんな時代にスタートを切った。
 それからさらに44年経った。
 来年、道新荘が閉鎖されると聞き、同期生のだれかが最後の研修をやろうと言い出した。なぜか、「キタ、お前幹事やれ」ということになった。

 新聞労連・北海道新聞労働組合編「わが三十年史」によると、1961(昭和36)年8月12日、健保組合、保養所を定山渓に開く」とある。








 


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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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