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zoom RSS 言葉を生業にする者の責務

<<   作成日時 : 2016/08/18 11:18   >>

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福原愛、涙目で「夢じゃなければ、いいな」。これは現在開かれているリオデジャネイロ五輪で除卓球女子団体戦で銅メダルを取ったときの福原愛選手のインタビュ^ー記事につけられた見出し。涙ぐんで語る姿を「涙目」とある。

 この「涙目」の使い方、変だなと思ったのは新聞社の文化部長をしていた2000年ごろ。

 当時の若手女性記者が何かの折、「あの時、わたし、もう涙目でした」といったので、「涙目というのは眼を病んでウルウル状態になることをいうはずだが」と言ったことを記憶する。その時まで、「涙目」という言葉は目薬の効能書きでしか見たことも聞いたこともなかった。

 いまでは感情的に高ぶって、じわっと涙が込み上げてくる状態を若い人は平気で「涙目」いうんだねえ。

 そしてこの福原愛ちゃんの記事。私なら「目に涙浮かべ」、あるいは「目潤ませ」→「夢じゃなければ・・・」と続けるが。

 なぜ「涙目」という表現になるか。テレビの影響が強いと私は思う。
 テレビ時代は誇張、強調、比喩を多用する傾向。渦中の人に直接コメントを求めるとき必ず「直撃した」。これも最初のころ「直撃インタビューした」ときちんと言っていたが、いまは「直撃」。直撃されたら死ぬやん。マジで、ガチで、も業界用語がカタギ同士の会話に流布する。イメージが鮮明なら、少々的外れでも「ええからいてまえ」ということだろうか。

 facebookにここまで書いたら、新潟県で大学教育に携わる友人(女性)が以下のようなコメントを書いた。

 「誤用が市民権を得るようになるのは、仕方ないと思います。言葉は生き物ですからね。私も職業上、いつも葛藤があります。ちなみにオンライン辞書では、「涙目」の意味は、誤用のほうがむしろ第一定義のようですよ。

 これに対し、私は次のように書いた。

「言葉は生き物」その通りだと思っていますし、古来、誤用が慣用になった言葉が枚挙にいとまがないことも知っています。しかしながら少なくとも言葉によるコミュニケーションを生業(なりわい)にする人間--教育者、政治家、社会活動家、ジャーナリストなどは誤用が慣用に変成するのを座視すべきでないとも、私は考えています。
 とりわけ現代のネットネイティブ・メディアの文章は、自己チェックが甘く、誤用→慣用を促進している、お先棒を担いでいるように私の目には映っています。そのことに強い憂いを感じております。上の「涙目」の記事はペーパーネイティブの日刊スポーツです。スポーツ紙も誤用お先棒担ぎが過ぎます。

 このブログでもう少し付け加えると、ことばは生き物だけど、野生動物にしてはいけない。共通言語としての規範性が必要だと思う。日本語なら日本語の長い伝統や習慣を全く無視したような使い方は容認されない。

 ジャーナリストは言葉の変化に対してはゆっくり進む、つまり保守的であるべき、というのが私の立ち位置だ。日本語の文法破壊や意味の破壊のお先棒かつぐべきではない。言葉を学ぶ学ぶ途上にある若い世代に対する責任がある。

 

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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