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zoom RSS 23歳の時考えた「基地の中の沖縄」

<<   作成日時 : 2015/10/24 11:08   >>

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 以下の文章は1971年、学生時代の日記を書き写したものです。 23歳の、推敲なし書きなぐり文章は拙いが、当時の沖縄返還の本質は掴まえており、返還以後40数年、こんにち辺野古問題で揺れるまでの沖縄史を見誤ってはいなかったと思う。恥ずかしながら、当時の表現のまま、ブログに転載することにしました。

 この日記の書いた翌年に沖縄の施政権が米から日本に返還されることがすでに決まっており、基地を固定したままの返還なら、沖縄に犠牲と負担を継続するだけの「第三の琉球処分」になると批判されていた。


1971年5月30日早朝
沖縄返還に関して
 沖縄という言葉、名称が僕たちにとって単なる普通名詞として感得されているうちはだめだ。今行われようとしている第三の沖縄処分(注:当時たしか「琉球処分」と呼ばれたはず)を日本人の恥として感得=想像せよ。
 沖縄県民の屈辱からの解放として沖縄返還を考えるべきであって、日本の財産を不当な地位から正当な持ち主に返戻するという観点から考えるのは間違っている。日本にかえってくることが単純に日本の利益になるのではなく、当面日本の負担になるもよしとするのである。

画像
71年5月30日、21歳になったばかりの日記です

 沖縄は過去25年間アメリカ軍によって虐待されただけではなく、その歴史は日本人による虐待の歴史でもあった。太平洋戦争終結の際の日本軍の沖縄でのふるまいを見よ。明らかに沖縄を植民地、日本本土への防波堤にしたではないか。

 占領された時、進駐軍としてアメリカ軍を迎える時、日本の婦女が米軍人の不当なセックスの犠牲になるのを防ぐためという美名のもとに、多数の売春婦をかり出した発想と同じようだ。
 沖縄戦に見られる本土(この使い方すら植民地的であるが)の態度は☆日常的(「戦時的」に対しての)ものであった。そして名目的な返還がなされた後もまた、差別待遇はなされようとしている。否、この返還自体が大きな差別として表現されている。

 つまり返還交渉に際し、全くの秘密交渉に終始し、ヤミ取引されようとしている。

☆注 「日常的」は有事に対する「平時」のつもりで使っているようだ。

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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