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zoom RSS 「間接的おわび」 など世間にはない

<<   作成日時 : 2015/08/11 08:41   >>

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きょう11日の道新朝刊1面トップ見出し「70年談話『おわび』検討 間接的言及止まりか」に激しい落胆を感じる。いっぱん社会で、間接的なおわび、なんておわびといわない。その「間接的なおわび」を言われた方は「出直してこい」と怒りに火を注ぐだけだろう。

 
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道新8月11日朝刊

この見出しに当たる記事の本記はこうある。

 
 「心からのおわび」の気持を表明する」とした村山談話の記述は踏襲せず、過去の談話を前提にしていることなどに触れる形で間接的に言及し、談話全体として謝罪の意思を示す案が有力視されている。


 「間接的に言及する」などというのは一般社会では通用するか。
8日の道新1面にも同じ「間接的言及」の見出しがあった。下の写真の3本目の小さな見出し「『侵略は』は間接的に言及」だ。
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8月8日道新朝刊

 これについて、キタは8日のブログにも書いたので一部をコピペする。
きょうの北海道新聞朝刊1面見出しが気になる。「『お詫び』見送り」。「見送り」だと本当はお詫びしたいが、諦めた、というニュアンス。安倍首相はそんな考え方ではないことは明らか。「『お詫び』明記せず」ではないか。また3本目の見出し「『侵略』は間接的に言及」も、「言及」は言い及ぶ=言ってしまうことであって、「間接的に」の述語として「言及」はそぐわない。見出しに当たる本記「…平和国家として歩みを強調するなどの形」がどうして「間接的に侵略に言及」したことになるのか、無理がある。道新も権力の意向をおもんぱかる「忖度(そんたく)ジャーナリズム」の臭いがするぞ、といわれてもしかたがない。
 「間接的に」を受ける述語はせいぜい[表現」だろう。(本日補足)

 おわびとははっきりと、「おわびします」「申し訳ありませんでした。二度と過ちはくりかえしません」と、おわびをすべき相手に明確に述べて初めて、おわびになる、のが世間の常識。世間というのは、「世界」と置き換えてもよい。

 英語でいえば、
 I heartily (sincerely) apologize.

 アベさんが、いくら「過去の同職者が言ったことを踏襲している」と、解説しても、相手の国の言葉に翻訳されて相手の心に、「アベは詫びた」は伝わらないし、将来に渡って相手国にも、日本の後裔たちにも、「戦後70年に日本の首相が過去の侵略戦争をわびた」という事実は残らない。

 アベさんはむしろ、それが残らないことを目論んでいる、と見るべきだろう。

 こうしたアベ政権の思惑を鋭くえぐるなら、「間接的に言及する見込み」などと、おかしな記述することにはなかっただろう。「間接的『表現』」ならまだしも。

 権力への批判精神を忘れた新聞記事は堕落だと思う。「侵略」についても「おわび」についても、アベ首相がなぜ、「間接的に表現したいのか、解説なしにこんな記事を書くのは感心しない。

 みなさん、新聞が「間接的に言及」などと書いていたら、ご用心。その背景を読むことをお忘れなく。
 
 道新よ、「忖度ジャーナリズム」を排せよ。

 


 

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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