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zoom RSS  波乱万丈と強運の韓国政治家、金大中氏の思い出

<<   作成日時 : 2009/07/29 02:31   >>

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  一昨日の姜尚中氏の北海道政経懇話会講演を聴いていて気になることがありました。今年5月に姜さんが対談した韓国元大統領の金大中さんが集中治療室(ICU)に入っているというのです。詳しくは説明されなかったけれど、ICUとはただ事ではありません。キタは1盧3金(金大中、金泳三、金鍾泌)が争った、1987年の大統領選挙を取材して以来、大中さんには深い思いがあります。早い回復を祈らずにはおれません。

  87年11月15日だったか、3か月の短期取材ビザを持って大統領選挙の公示日にソウル入り。それから投票日までの1ヶ月間、4候補の個人演説会を追って韓国の各地の大都市を回りました。候補者の中でもとりわけ動員力を誇っていたのが金大中さんでした。

 日本滞在中の拉致事件、光州事件首謀者の汚名を着せられての死刑判決と刑執行停止、米国への出国と帰国後の軟禁ー。その波乱の後の大統領選出馬だったから、地盤の全羅道やその出身者が多いソウルでの人気は抜きん出ていました。

 ソウル市内の広大なポラメ公園で開かれた大中さんの演説会は、50万人が集まるという触れ込みでした。行ってみると、候補者が姿を見せる前に、公園を埋め尽くした群衆が全羅道の民謡カンガンスルレーを歌っていました。それは、全斗煥・軍事独裁政権下で抑圧されてきた全羅道の人たちの恨(はん)の大合唱でした。聴いていると鳥肌が立ってきました。
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金大中氏の演説会場。立ち木によじ登って全羅道の英雄を待つ人々も=1987年11月、ポラメ公園
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演壇から身振り手振りで聴衆に訴えかける金大中氏=ポラメ公園

大中さん、演説はうまかったし、わかりやすかった。まず結論を言ってから、次に「何となればー」とくる。韓国語いうと「ウエ-・クロニャー・ハミョン(直訳すると、なぜそうなるかというと)と説明します。当時市民に選挙のことを聞くと、全羅道出身と思しき飲食店の若いアガシ娘さん)も「ウエー・クロニャー・ハミョン…」でした。

  その選挙結果は全斗煥大統領の後継、盧泰愚氏が当選。金大中、金泳三候補の得票数を足した数が盧泰愚候補の得票数を上回ったことから、「野党候補一本化が成功していれば政権交代」と国内メディアが書き立てました。

  選挙後、そのことを指摘された金大中さんは「自分が退いて金泳三候補で一本化してもよいと考えたけれど、全羅道(金大中派)、慶尚南道(金泳三派)のそれぞれの地域感情が許さなかった」と述懐していました。

 盧泰愚政権に入り、金泳三氏と金鍾泌の党が与党と電撃的に合同。金大中さんだけがカヤの外でした。これにより、1期5年(韓国大統領制は再選禁止)の盧泰愚政権のあと金泳三大統領が約束されました。

 3党合同後、キタが金大中氏に単独インタビューしたときのことを今でも憶えています。
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金大中氏との日本語による単独インタビュー=1990年4月、ソウル

 朴正熙−全斗煥政権と戦ってきた野党指導者の金泳三氏が与党にクラ替えしたことをどう考えるかと、尋ねると即座に「彼は後戻りのできない大きな過ちを犯した」と言い切りました。「私は軍事独裁政権によって、四たび殺されかかり、弾圧には驚かないが、このたびのことには政治と人間に対する絶望を感じた」とも。

  92年、シナリオ通り盧泰愚政権から金泳三政権へ。この段階で、1971年の大統領選で朴正熙氏に僅差で敗れて以来の大中さんの野望が潰えたと誰もが思ったけれど、97年の選挙では与党の分裂に乗じて大統領の座を射止めた金大中さん。その信念と運の強さに驚嘆します。

 もっとも、98年に念願の大統領になったのとアジア金融危機が同時期。韓国経済がIMF(世界通貨基金)の全面的介入をうけいれなければならないなど、貧乏くじを引いたような政権スタートでした。それでも金正日総書記との南北首脳会談を実現させて、ノーベル賞までもらったのですから、やっぱり、強運の人というべきでしょう。

 キタがソウル駐在していた87年暮れから92年春まで、2人の金さんは単独インタビューや日本人記者団だけの懇談に快く応じてくれました。その折、すべてやりとりは日本語でした。

 朴ー全政権下の厳しい言論統制で、国内のメディアは野党政治家のの言い分を正確に報道できなかった時代、両金は比較的規制が緩やかな外国人記者、とりわけ日本のマスコミを通じて主張していました。したがってお二人の日本語能力は相当なものでした。特に大中さんの日本語能力はほとんどネイティブと言ってよいほどでした。

 それでも日本人記者団の中に韓国人記者が一人でも入ってくると、とたんに韓国語に切り替わるのは韓国人政治家の常識でした。今もたぶんそうでしょう。
 


 

 

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金大中氏逝く
 今朝の新聞各紙とも1面で、韓国の元大統領金大中氏が18日波乱の人生を閉じたことを伝えています。7月27日札幌で開かれた北海道政経懇話会の講演で、評論家姜尚中氏が「金大中氏は現在、病院の集中治療室にいる」と語っていたので、案じていました。キタが記者時代に撮った写真ファイルには大中さんの写真がいっぱいあります。97年暮れの大統領選挙戦ごろのものがほとんどですが。享年85。とりあえずアップして哀悼の意を表します。合掌。 ...続きを見る
感謝 カンレキ 雨あられ
2009/08/19 09:28

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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