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zoom RSS 阪神・淡路大震災から14年−後遺症いまも

<<   作成日時 : 2009/01/17 05:46   >>

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 阪神・淡路大震災が14年前のきょう、つまり1995年1月17日午前5時46分ごろ発生しました。これを今書いている時間は4時56分ですから、あの日のいまごろの神戸の町は、それまでの毎日がそうであったように、まだ夜が明けきらない静寂の中にあったのでしょう。それを思うと、自然の力の前には無力な人間のいとなみ、運命のはかなさを感じずにはおれません。死者:6,437名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名(ウィキペディアによる)。

 十七日午前五時四十六分ごろ、近畿地方で直下型とみられる地震が発生、神戸と淡路島の洲本で震度6(烈震)を記録するなど関西地方の広い範囲で強い揺れがあった。その後も余震とみられる地震が続いており、午前七時三十八分には奈良で震度4(中震)を記録した。
 兵庫県を中心に建物、高速道路の倒壊、火災、がけ崩れが相次ぎ、連絡網が回復するにつれ、死者、負傷者は増え続け、警察庁によると、十七日午後三時現在、兵庫県南部地震による死者は五百九十七人、負傷者二千百九十八人、行方不明五百三十一人となった。
 政府は同日午前、非常対策本部を設置、小沢潔国土庁長官を団長とする政府調査団を現地に派遣する。

 これは地震が発生した17日の午後、北海道新聞が出した号外の一部です。死者の数はまだ10分の1も把握できていなかったということです。

 数日前、NHKのドキュメントでみて衝撃を受けたことがあります。それは負傷者4万余のうちの人たちのなかに、当時、倒壊した家屋や倒れた家具の下敷きになって大きな怪我を負い、今もその後遺症に苦しめられている人たちがたくさんいるというリポートでした。幼児の時の地震で、ピアノの下敷きになり脳の相当部分を損傷した女性は命は食いとめたものの知的障害が残り、工場での軽作業に甘んじている。足に粉砕骨折を負った初老の男性はいま、サポーターをぐるぐる巻きにしてガードマンの仕事をしている。どちらもこれといった保障はなく、くじけそうになる心をボランティアグループが支えている姿が映し出されていました。

 キタは震災当時、新聞社の整理部というところにいて、17日夜のローテーション勤務でした。共同、時事の二つの通信社から送られてくる原稿を使って、翌日の朝刊作りのデスクを担当しました。どんな紙面を作ったのか、どんな見出しを立てたのかもう記憶がありません。人間必死になってことにあたると、後になって記憶がすっ飛んでいるものですね。

 阪神大震災からさかのぼること2年1993年の夏、北海道南西沖地震の時には社会部にいて、前線デスクとして地震発生2日後の奥尻島に行き、若手記者と一緒に現地の惨状を伝えた記憶もなまなましく、決して北海道から遠く離れたところの他人事とは思えなかったという感慨だけはいまも鮮明です。

 まもなく阪神淡路大震災の発生時刻です。同じ時間にこれをアップロードして、犠牲者の冥福を祈るとともに、いまなお苦しむ人たちに「がんばって生きてください」と励ましの言葉を送ります。

その瞬間の直前、淡路の現場からのNHK中継ではこんなことばを伝えています。

 震災が奪ったもの−いのち、仕事、だんらん、町並み、思い出。

 

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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