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zoom RSS BC級戦犯問題

<<   作成日時 : 2008/12/08 05:27   >>

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 このところ、BC級戦犯をテーマにした映画、ドラマ、新聞記事を目にする機会が立て続けにありました。キタはこの問題をきちんと考えてこなかったことに気付かされました。

  まずはSMAPの中居正広主演の映画「私は貝になりたい」を数日前にみました。太平洋戦争末期に召集された30代の小さな理髪店経営、清水豊松(中居)が本土空襲で不時着した米軍航空兵の捕虜を上官の命令で処刑に加わったことを理由に、終戦直後の横浜軍事法廷で絞首刑の判決を受ける。本人いわく「怖くて銃剣が捕虜の腕をかすっただけ。木に縛られた捕虜はすでに死んでいた。なぜ自分が死刑なのか」。「不条理」を納得できないまま13階段を昇る。

 昨夜(7日)はNHKスペシャル ドラマ「最後の戦犯」(21時〜22時半)をみました。大戦中、見習士官だった吉村修(アラタ)もまた上官の命令で捕虜の処刑に手を下す。3年半、名を変え逃亡後に逮捕され、「自ら進んで手を下した」と罪をかぶったにもかかわらず重労働5年の判決ですむ。「私は貝に…」の極刑とはギャップは大きい。佐田野修さんという元見習士官の獄中記が原作。

 二つの作品に共通するのは、、上官の命令は絶対という帝国陸軍体制下、下官が命令を拒否せず手を下すことを罪に問えるのかという問題と、戦犯を出した家族の大変な苦労、悲しみ。異なるのは「私は貝になりたい」の主人公の出自は最下層に属する庶民。しかも片足不自由なのに(兵役検査では丙種合格か)徴兵された人。BC級戦犯狩りが始まったあとも「自分には関係ない」と逃げ隠れしないまま逮捕される。「犯意」が全くない。一方吉村は、高等商業(いまでいう商大)出のエリート階層で、上官の命令とはいえ、人をあやめたことを逃亡中も、「個人」としての罪の意識にさいなまれる。

 判決は前者が死刑、後者は重労働5年。裁判の時期が前者は、同時進行で行われていたA級戦犯法廷との整合性をも重視していた時期であり、米軍の軍事法廷は、日本の旧軍隊のヒエラルキーの異常さを理解せず、処刑執行人に執行拒否の余地があると判断していた。一方、後者は、数年の潜伏中、時間とともに米軍側の旧日本軍分析も進む。しかも1950年に勃発した朝鮮戦争と裁判時期が重なり、対日関係を再び重視する時期に入っていた。この裁判をもって戦犯裁判が終了した。タイトルの「最後の戦犯」となるわけ。

 二つのドラマはともに史実に基づく。両方見ると、ここでも戦争でもっとも手ひどい目にあうのは庶民=常民であり、女性や老人、子供であるという定理があぶり出されます。

  もうひとつ、北海道新聞の7日朝刊第3社会面にソウルの井田電で、韓国・朝鮮人のBC級戦犯の遺族が会合を開いた記事が出ています。

  旧植民地時代、「日本国民」として「天皇の赤子」として徴兵された韓国・朝鮮人の中にも、BC級戦犯の汚名を着て処刑された人たちがたくさんいること自体はよく知られていますが、その名誉回復、保障がどうなっているのかキタはよく知りません。これから勉強します。

 「最後の戦犯」にも韓国・朝鮮人のBC級戦犯が登場します。「おれたちはいつも日本人の犠牲になるんだ」と主人公に向かって叫んでいました。

 記事内容は大戦当時、日本の軍属として日本国内の捕虜収容所で監視員をしていて、戦後、BC級戦犯に問われた朝鮮人の在日遺族と、韓国にいるBC級戦犯の遺族が交流したというもの。

 記事はさらりと交流の様子を報じただけで物足りない。今回の交流を入口に「韓国・朝鮮人BC級戦犯問題のいま」に切り込んだ現地報告を期待します。

  それから、「私は貝になりたい」のこと。オリジナルは1958年(昭和33年)に日テレ系で放映されたテレビドラマ。翌年には映画化されています。当時はBC級戦犯の関係者もたくさんいて、よほどの話題作だったのでしょう。10歳だったキタは大阪読売テレビで見ています。放送時間が24時から25時40分まで(再放送は6日後の朝6時半から)だったとあります。キタは深夜、眠い目をこすりながらみたのでしょう。

  フランキー堺があの歯の見えない口をあけて、「なぜだあ」と叫びながら官憲に引き立てられていくシーンを憶えています。今回の映画の脚本はテレビと同じ橋本忍。テレビドラマの詳細を憶えていないので、比較はできませんが、ひとつ気になったことがあります。

 中居君も妻の仲間由紀恵も土佐の高知の名もない庶民というのに、よさこい節を歌う以外、方言を全く話しません。高等教育を受けたことのない庶民ならそんなことは絶対にない。スターなので方言を覚える暇がないのを考慮したのか。完璧ではなくてもよい。「魂の叫び」を表現するセリフには土のにおいが不可欠。言葉の持つ力を軽視してはいけません。見たあと、なにかうそくさい後味が残るのはセリフ回しのこともあるのではないでしょうか。フランキー堺のセリフがどうだったかは記憶にありませんが。

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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