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zoom RSS 自分の日本語が危なくなったら電子辞書に聞け

<<   作成日時 : 2008/12/12 05:03   >>

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 身内の恥をさらすようですが、いま新聞で使われている日本語の単語に誤用あるいは適切でない表現が多くなっていることに、すでに編集職場を離れて5年ほどたったキタは寒々とした感慨を抱いています。

 新聞は編集局というところでコンテンツをつくり、製作工程をへて紙の新聞になって読者に届けられるのですが、出来上がったらすぐ社内の非編集部門を含む全職場に配布されます。夕刊の場合、午後1時ごろには、早版と呼ばれる、印刷工場からの遠い地域に配達されるエディションがまわってきます。これは自社の第一の主力商品である新聞を社員のより多くの目でチェックして、よりよい商品を読者に送り届けようという考えから、どこの新聞社でも創立以来続けていることです。

 昔は本社や支社の中に印刷工場があり、刷り上って湯気のでているような紙面が社内を駆け巡ったのですが、いまは大半の印刷工場が本・支社社屋から少し離れたところに分離され、印刷以外の職場に届くのは以前よりおそくなりました。

 ともあれ、夕刊早版が手元に届いたら、社内にいる限り、どんな重要な仕事をしていてもまず、手に取り、間違いがないか、目を皿のようにして読むのがキタ、いや編集職場に一度でも身を置いたことのある社員の体に染みついたルーティンワークになっています。

 前置きが長くなりましたが、昨日の北海道新聞夕刊一面に、「漏水ダム、供用できずに15年」という見出しのまとめ記事が準トップの位置に大きく掲載されていました。富良野にあるダムが完工後15年たったのにまだ供用開始されていない。理由は水を湛える升(ます)であるダムの水漏れが続いているからだという。間もなく発表される09年度の北海道開発予算に絡んだタイムリーなよい記事です。

  この記事のリードに(前文)に「…山深い西達布地区に水のないダムがたたずむ」とありました。キタはすぐ、「なに、ダムがたたずむ、だって?」と頭の中で赤ランプが点滅しました。残念ながら、キタは昼間、出かけていて、手にしたのは早版でなく、夕刻届く遅版でしたので、編集局に注意喚起してももうまにあわない時間でした。


 「たたずむ」は広辞苑によると「@しばらくその場に立っている。立ち止まるAさまよう、ぶらつく、徘徊する」とあります。
 ダムをたたずませた記者は「静かなたたずまいを見せている」というつもりで書いたのでしょうが、貯水量430万トンを、札幌ドーム(アリーナ部の容積158万立方メートル)をひしゃくにして掬うと約3杯分というダムをたたずませるのはどだい無理です。写真を見ると、ダムの構造物の一部の塔のようなものが見えます。これがたたずむと書くのなら、ぎりぎりセーフでしょうが。

 「たたずむ」というコジャレた表現は新聞によらず、最近いろんなところで使われています。「小さなホテルが湖のほとりに静かにたたずんでいる」などと擬人法的な表現もみうけられます。JRの車内誌を読んでいたら、署名入りの連載フォトエッセーで、「古い小学校の教室で子供の椅子に座ってたたずんでいると…」というむちゃぐちゃな表現がありました。


 こうした誤用が本来の意味から外れ、慣用に転じるのは古来稀(まれ)ではありませんが、近年、そのスピードと広域化に加速度がついてしまいました。その理由は、正しいというか、美しい日本語で書かれた「本」を読まなくなったからにほかなりません。言語能力を形成すべき時期に、文字で書かれたものを読まずに、目から脳みそに入ったけれど通過ししてすぐ外に出ていくテレビやマンガで育った世代の弱点です。聞いたことはあるが、用法を正確に身につけず、うろ覚えの「語感」だけで自分の単語帳に書き加えていくのでしょう。

 「とうしゅう」や「みぞう」ということばをテレビの硬派番組で初めて聞いた時に、「どう書くのだろう」と辞書で引くような人はまず、本を読むことが身についている子供でしょうし、マンガしか読まない人は愛読書の中で「とうしゅう」や「みぞう」とは出会わないでしょう。

文章」を書くことを生業(なりわい)にする種族で、しかも 読書の絶対量が足りない人間にとって、恥をかかない方法はなにか。それは辞書を座右にすることです。なあんだ、そんなあたりまえのことか、とおっしゃるなかれ。

 キタはいつも広辞苑を通勤かばんにいれています。、といってもあの重たい紙の広辞苑ではなく、カシオの電子辞書(XD-ST8000)です。これには広辞苑のほか、漢和辞典、英和・和英辞典、7カ国語の旅行会話文例などいろんなものが入って重さは250,グラムです。自分で漢字の書き方や言葉の使い方で「ちょっとあぶないな」と思ったら、すぐカシオ君に聞くことにしています。紙の広辞苑だと、50音順にページを繰っていって目的の単語にたどりつくのにホネですが、カシオ君だと、パソコンと同じ入力で目的地に直行できます。
画像

 自分であぶないと思ったときはカシオ君に聞けますが、全く「危ない」という自覚がないまま誤用している場合もある多い。その時はどうする。

 周りの小言幸兵衛や小姑が眼を光らせていて、「おい、おい、この表現はおかしいでえ」というしかありません。商品になる前に。

 上の最後の2行がきょう一番言いたいことです。日本の新聞社で朝晩新聞作りをしている後輩諸君、頼むよ。世間が新聞に向ける目は未曽有の厳しさですよ。厳しいうちはいいけど、なにも言われなくなったらおしまいよ。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ご無沙汰しています。雪国に住んでいるNaoです。
「正しい日本語」「美しい日本語」とは何ぞや?という議論もあることはありますが、海外在住の日系人や外国人のほうが、きれいな日本語を話すということはよく言われていますよね。よく、日本語を学ぶ人たちから、「教科書の日本語と実際の日本人の使う日本語にはずいぶん差がある」という声を聞きますが、これは、我々母語話者の「日本語」のバリエーションがものすごい勢いで広がっている証拠でしょうね。ただ、誰にでも理解できる最大公約数的な日本語があって、それがニュースや新聞、そして日本語教科書に見られる日本語なのかもしれません。
ちなみに、留学生にとっては、視覚が理解の助けになることもあって、いくつかのアニメ映画や漫画本は重要な教材となりえます。その教材の選別は我々教員の仕事ですが、教材として適切/不適切の線引きをどこでするのか、日頃の私自身の言葉への姿勢が問われるところであります。
それにしても、インターネットのニュース記事には、言葉の用法以前の文法的な間違いも時おり見受けられ、ある意味、留学生向けのいい教材となっています。
Nao
2008/12/24 01:20

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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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