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zoom RSS 日本語の劣化とメディアの責任

<<   作成日時 : 2008/05/19 18:05   >>

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 きょうは月曜日。一週間で一番忙しい日です。たぶん新しい記事を書く余裕がないので、古い文章をそのまま再掲してズルをしようと思います。今から3年前の2005年6月20日、新聞社の旭川勤務時代、支社のホームページに連載していたコラムです。新聞記事に見られるヘンな日本語を、編集局OBの目で指摘したものです。
 その後、新聞の日本語の劣化はとどまるどころか、さらに悪化しているように思います。日本語の基礎が足りない者が気まま勝手に、社会から認知されるにはまだ無理な、「自分だけの」日本語を気楽に作ってタレ流ししているような悲しさに襲われるときがあります。本人はそれに気づいていないのなら、なお始末が悪い。それを防ぐには、日本語らしい日本語が使われていた時代の良書を読んで自分の血肉にするしかないと思います。こんなことを書くと新聞を買って読んで頂いている読者から、「何だ、欠陥商品を売っているのか」と叱られそうですが、全体には優れた記事が圧倒的に多いと思っていただいてよいと、キタさんは太鼓判を押します。その上で、悪貨が良貨を駆逐しないよう牽制球を投げ続けたいのです。(この項19日早朝記す)
                     ◇

 いつの世にも、日本語の乱れぶりを嘆いたり、怒ったりするのは、50歳代以上のオヤジの習性なのだろうか。

 とりわけ30年余を新聞記者として送ってきたわが身としてはマスコミ業界から吐き出される文章、言葉の劣化には敏感にならざるを得ない。

 たとえば「自画自賛」と「号泣」の誤用。
前者はスポーツ記事などで、「〇〇選手は打ったホームランについて『もう一度打てといわれても打てないほど、難しい球をうまく打てました』と自画自賛した」といった表現。自画自賛は大した手柄でもないことを得意げに吹聴するようなとき使う。上の選手は立派な仕事をしたのだから断じて「自画自賛」ではない。私なら「うまく打てた」と納得した表情、とでも書こうか。

 「スターのだれそれが号泣。このあとすぐ!」。テレビの番組予告で、画面下から4分の1の高さに達するような大きな文字が躍っていた。その番組の問題シーンを見たらハンカチで目頭を押さえているだけだった。すすり泣きまでもいかない。号泣とは「大声をあげて泣くこと」と辞書にある。スポーツ紙など新聞見出しにもひんぱんに「号泣」が現れるようになった。「号」の字は「大きな音声」を意味していることを知っていればこんな誤用はしないはずだ。

 2、3年前の編集局幹時代、口をすっぱくして記者らに助詞の誤用を戒めたことがある。「市長選に出馬も、あえなく落選」の「も」の使い方だ。正しくは「出馬するも」。文法的には「動詞の連体形+も」だ。誤用は見出しの字数を縮めようと乱暴に動詞語尾をカットしたのが始まりだろう。「あれもこれも」の「も」と紛らわしい。結果的には「馬の耳に念仏」。いまでは品のない「出馬も」の用法は見出しのみならず記事の中にも大手を振って顔をだすようになってしまった。

 良質、粗雑ないまぜになって巨大化する現代のマスメディアが、誤ったことばの用法を反復的に撒き散らせば、誤用から慣用に至る所要時間は、旧時代のそれとは比較にならないほど加速度がつく。しかも文化を破壊するという意味ではコンピュータ・ウイルスよりはるかに罪深い。

 活字であれ、映像であれ、メディアを生業(なりわい)とする者は、学習途上にある若い世代に対し「日本語の生きた教材」としての責務を負っていることをもっともっと肝に銘じなければならない。貧弱な日本語環境で育った若者がメディアに職を得て貧弱な日本語を拡大再生産するのを心から憂う。
                    (中略)
  
 筆者の職場での話。たまたまある記者の電話のやりとりを聞くともなしに聞いてしまった。

 「もうしわけありませんが、その資料、ファクスで送っていただいていいですか」

 ムム?なにかへんだぞ。「〜してよろしいか」は自分がしようとする行為について相手に許可を求める場合に使うのがフツーではないのか。英語でいえば「May I〜」。ここは「送っていただけますか」でよいだろう。


 近頃の日本語は、なるべく他人と距離を置いてつきあいたいという話し手の心理的態度を反映して、ばかていねい、慇懃(いんぎん)ではあるが、「なにか変」という表現が多くなったように思う。犬にえさを「あげる」という表現もよく聞く。「えさ」と「あげる」は不適合。いっそ「お犬様にお食事を差し上げる」とすれば?

 いま日本語が急激に変わりつつあるように思える。しかも綿々と流れる日本語の伝統、進化と断絶した、みょうちくりんな表現が跋扈(ばっこ)しはじめたようだ。

 活字文化の一端を担うべき新聞が日本語の劣化のお先棒を担いでどうする。教育現場に役立つ新聞」を目指すNIE運動が「自画自賛」になり下がるなら、それこそ「号泣」せねばならない。
                     ◇
  上記の日本語「〜していただいてよろしいですか」という用法は、若い世代の言葉として「〜していただけますか」より完全に強勢になってしまいました。「もうかなわんなあ」の心境です。




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Kita, WHO?

1948年大阪生まれ。元北海道新聞記者。11年3月から13年3月まで、JICAシニアボランティアとしてモンゴル国立農大(ХААИС)ダルハン校でエコツーリズムと基礎日本語を教えた。趣味は渓流釣り、映画、クラシック音楽鑑賞、漢字書道。書号は景泉 にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
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